「御霊の実A寛容・親切」

A.始める前から決めていた―沖縄・興南高校

 夏の甲子園で、興南高校が、沖縄の代表として初めて全国優勝しました(春夏連覇)。「・・・(試合が)始まる前から、(点を)取られても我慢して、ピッチャーにできるだけ楽な態勢で投げさせてあげようと決めていました」と、興南高校のキャプテンは試合後語っています。
 人生でも、問題が起こる以前から対処の仕方を決めておくことが大切です。人生で大切な寛容と親切が、聖霊の実の4番目と5番目です。

B.聖書より

「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」ローマ人への手紙15章7節
 イエス様は、最も大切なことは、神と人とを愛することだと言われました(マタイ22章)。親切とは、行動に現われた愛です。イエス様は、私たちにどう親切なのでしょうか。

  1. 私たちの弱さを理解されます。
  2. 真理を教えてくださいます。
  3. 私たちの罪を赦されます。
  4. 私たちの価値を認めてくださいます。

 自分の価値を、他人の目を基盤としたとき、人から批判され、拒絶され、無視されれば、自分の存在価値は壊れてしまいます。しかし、神さまに創られ、常に大切にしてくださる神さまの愛に自分の価値を築き上げるならば、私たちの存在価値が失われることはありません。親は子どもたちの価値を認める大切な役割があります。子どもに耳を傾け、注目し、認めてあげることこそが、「親切」(行動に現われた愛)の絶大なる力です。親切は、人を変えることができるのです。

C.真の価値を認め合った親子

 18才のフィリピン人歌手シャリース・ペンペンコは、アジア人として初めて、全米ヒットチャート・トップ10入り(8位)を果たしました。1992年、シャリースが生まれると、一家は幸福に包まれていましたが、父は次第に働かなくなり、母ラケルに酷い暴力をふるうようになりました。母は離婚を決意し、縫製工場で朝から晩まで働きました。母ラケル本人は、プロの歌手を目指していましたが、二人の子どものために、夢をあきらめていました。苦しい生活の中、娘シャリースの唯一の希望も、プロの歌手になる夢でした。母は、シャリースの歌声に慰めを得ていました。
 母は、娘が各地で開催されるコンテスト会場に行く交通費を、借金で工面しました。シャリースが小さなコンテストで度々優勝するようになると、シャリースは賞金でバス代を返し、残りを生活費の足しにしました。シャリースは母が自分たちのためにあきらめた夢を叶えるために、100回以上ものコンテストに出場しました。
 12才になったシャリースは、フィリピン最大の子どもオーディション番組「リトル・ビッグ・スター」に出場権します。結果は第3位で優勝を逃し、審査員に、「残酷なようだが、テレビの視聴者が求めるのは、スタイルが良くて美しい歌手なんだ。プロになるのは、あきらめた方がいい」と言われました。「私は歌っているあなたを見ているだけで幸せなの」と母は娘を慰め、シャリースは看護師になって母を助けようと決意します。
 夢をあきらめたシャリースのところに、数日後、米国のオーディション番組から、番組出演依頼の電話が入りました。本人は、母をアメリカに連れて行ってあげられる、という思いだけで、番組に出演しました。すると、その歌唱力が絶賛され、これがきっかけで米国の一流プロデューサーに認められて、シャリースはメジャーデビューしたのでした。
 「辛い時も、絶対に落ち込まないようにしてくれたし、何よりも愛情を注いで支えてくれました。お母さんが愛してくれたから、私は歌い続けるのよ」とシャリースは母に手紙を書きました。イエス様への信仰ゆえに、母子が互いに「親切」を実践してきたのです。

D.結び

 親切とは、行動に現われた愛なのです。イエス様そこ、親切のお手本です。神さまの愛をもって家族にこそまず、「親切」になりましょう。
 御翼2010年9月号その2より


  
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